西暦 |
年号 |
事 跡 |
1980 |
55 |
ロータリー75周年記念国際大会シカゴにて開催さる。婦人入会の提案規定審議会において否決さる。 |
1979 |
54 |
韓国ソウルにてアジア地域大会開催さる.ハーバード・A・ビグマン5代目のR・T事務総長となる。 |
1978 |
53 |
レヌーフR・T会長、3H運動を提唱.向笠広次R・T理事就任。 |
1977 |
52 |
第69回R・T年次大会東京にて開催.ジャック・デービスR・T会長司会。 |
1976 |
51 |
オーストラリアに始まったR・Y・L・A(Rotary Youth Leadership Award)日本でも実施さる。竹田恒徳R・T理事就任。 |
1975 |
50 |
米山記念奨学金普及の為米山週間を設定.同一テリトリー内に2つ以上のR・Cを設立することが認められることになった。 |
1974 |
49 |
原田秀雄R・T理事就任.日本全国21地区となる。 |
1972 |
47 |
ハリー・スチュアート第4代R・T事務総長となる。 |
1971 |
46 |
湯浅恭三R・T理事就任。日本全図18地区となる。 |
1970 |
45 |
日本におけるR・C急速に拡大.地区が17区に分割さる。 |
1968 |
43 |
ローターアクトクラブ計画発表。 |
1967 |
42 |
東ケ崎潔R・T会長に指名さる.松本兼二郎R・T理事就任・米山記念奨学会財団法人となる。 |
1965 |
40 |
財団にG・S・E制度、専門的訓練制度加わる。 |
1964 |
39 |
東ケ崎潔R・T第2副会長となる。 |
1963 |
38 |
インターアクトクラブ第1号仙台に設立。 |
1962 |
37 |
ニツチシ・C・ラハリー(インド〉東洋人として初めてR・T会長に就任。 |
1961 |
36 |
国際大会東京にて開催さる。 |
1959 |
34 |
『平和への七つの道』刊行。 |
1957 |
32 |
小林雅一R・T理事第一副会長となる。 |
1954 |
29 |
ロータリー50周年記念大会シカゴにて開催さる。 |
1953 |
28 |
ジョージ・ミーンズ第3代R・T事務総長に就任。「ロータリーの友」創刊。 |
1952 |
27 |
手島知健、R・I理事となる。日本は60区、61区に分割さる。 |
1950 |
25 |
復帰後初の年次大会京都にて開催。 |
1949 |
24 |
日本のR・C、R・Tに復帰。第70区となり手島知健ガバナー就任。 |
1948 |
23 |
『奉仕こそわがつとめ』刊行。 |
1947 |
22 |
ボール・ハリス逝去。ロータリー財団奨学生制度実施さる。 |
1946 |
21 |
米山梅吉逝去。 |
1945 |
20 |
国際連合の各国代表の要請によりロータリアン11名顧問として参列。 |
1942 |
17 |
チェスレイ・べリー事務総長を退き、ラブジヨイ2代目事務総長に就任。
戦時下のロンドンでロータリー協議会開催21ケ国の教育担当者集会して平和を協議ユネスコの基礎となる。 |
1940 |
15 |
日満ロータリー地区連合大会横浜で開催。日本各クラブR・Tを脱退。 |
1939 |
14 |
日本の地区が70、71、72の3地区に分割さる。 |
1935 |
10 |
ボール・ハリス夫妻来日.ロータリーの四つの綱領現状となる。 |
1934 |
9 |
初めて規定審議会を開く。 |
1933 |
8 |
四つのテスト発表さる。村田省蔵8代目ガバナーとなる。 |
1931 |
6 |
井坂孝2代目ガバナーとなる。 |
1928 |
3 |
日本と満州で第70区制定.米山梅書初代ガパナーとなる。 |
1927 |
昭和 2 |
平生飢三郎3代目スペシャル・コミッショナーとなる。 |
1926 |
15 |
井坂孝2代目スペシャル・コミッショナーとなる。 |
1924 |
13 |
米山梅吉初代スペシャル・コミッショナーとなる。 |
1923 |
12 |
奉仕に関する決議34号採択さる。東京大震災に多額の見舞金贈らる。 |
1922 |
11 |
国際ロータリーの制度確立さる。共通の定款・細則義務化される。 |
1921 |
10 |
初めて米国を離れて国際大会スコットランドのエヂンバラに開催さる。 |
1920 |
9 |
日本に最初の東京R ・C創立さる。欧州大陸最初のマドッドR・C創立さる。 |
1919 |
8 |
国際協議会の制度定まる。 |
1917 |
6 |
アーチ・クランプによりロータリー財団制度の基礎定まる。 |
1916 |
5 |
非英語国ハバナにR・C設立さる。 |
1915 |
4 |
桑港大会にて『職業倫理訓』議決さる。定款・細則制定さる。ガイ・ガイデイガーの『ロータリー通解』執筆始まる。 |
1914 |
大正 3 |
アデイショナル・クラブの制定議決さる。 |
1911 |
44 |
He profits mosr Who Serves best 標語発表。英国にR・C創立さる。 |
1910 |
43 |
米R・C連合会シカゴにて開催さる。16R・C集合、カナダのウイニベックにR・C創立されロータリー国境を超える。親睦か奉仕かでクラブ騒然となる。 |
1908 |
41 |
アーサー・F・シールドン、チェスレイ・べリ一人会。シカゴR・Cに宣伝拡大委員会設置。シェルドン委員長次いでべリー委員長となる。 |
1906 |
39 |
ドナルド・カーター入会.シカゴクラブに公共奉仕の目的加わる。 |
1905 |
明治38 |
ボール・ハリス外3名によりシカゴに最初のR・C創立さる。 |