ロータリークラブの歴史

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個人奉仕か団体奉仕かの論争起る

ロータリーは個人奉仕が主であって、その真髄は職業奉仕にある。最近は各 R ・ C が慈善的事業に勢力を集中して、あたかもロータリーは社会福祉事業を 請負う慈善団体であるが如き観を呈している.この風潮は改められるべきであ る。われわれはロータリーの本旨に立ち戻るべきである。という論旨が『個人奉仕』派の主張であります。

これに対して、ロータリーが奉仕の理想を実現するためには、先づ社会一般 にロータリーの評価を高め、世間一般の人々からロータリーの掲げる奉仕の理 想を理解され、ロータリー活動に好意と共感を呼び起すことが大切である、ロー タリークラブが社会福祉事業に関心を払って、これを援助する行動は、今や各 方面からロータリー活動の大きな価値を認識されつつある。

これが双方の論争の概略であったといわれています。

さて、このような大論争の起った素因は何かといいますと、それは、当時米 国各地の R ・ C が勢力的に取り組んでいた『身体障害児』救済の問題であります。

この大論争は次の 1923 年のセントルイス大会において、 Community Service に関する大会決議第 34 号によって決議を見ることになる訳てすが、 暫くはこのルネッサンスの経緯について調べてみることにいたします。例に よってポール・ハリスの著書によりますと『個人奉仕か、団体奉仕かの論争の クライマックスは 1923 年大会の会期中に釆た、その時の決議第 34 号は記念 すべき一大決議であって、席捲するが如きあらゆる分裂の危機を解消しさった のである』と記るされています。

ロータリークラブが、身体障害児問題に関心を示したのは可成り長期に亘っ ていますが、最初にこれに取り組んだのは、 1913 年頃ニューヨーク州のシラ キューズ R ・ C であったといわれています。次いでオハイオ州のトレド R ・ C が行動を起したのですが、そのきっかけとなったのは、会員の 1 人が街で見 るかけた古ぼけた自家製の車椅子に乗った少年から話を聞いて、身体の不自由 な子供達が世間から見捨てられ、教育の施設もなく悲惨な環境にあることを知 って、クラブ例会において、声涙下る大演説をしたことが全会員の琴線に深く 訴えるところがあった、ということであります。

この間題を語る時、最も忘れ難い人物に、エリリア R ・ C のエドガー・アレンがあります。

エドガー・アレンは、エリリア R ・ C に入会する以前から身体障育児問題 に閑心をもって、個人的な活動をしていた人物であったといわれていますが、 ロータリアンとなったのも、ロータリーによって身障児に対する救済運動を拡 大強化したいとの希望を持っていた為であるとも伝えられています。

アレンは、身障児達から Daddy Allen “アレン父親ちゃん”と呼ばれる程 に、この間題に献身的に活躍し、やがて全米各地に身障児問題協会が設立され るという偉業の原動力になったといわれています。

身障児問題協会はアメリカの各州の中でも特に中小の都市のロータリークラ ブによって設立され或るクラブでは専門の病院から教育施設に至るまで、クラ ブが主となって運営に当っていたところもあったということであります。しか しながらロータリアン達はそれぞれ企業の経営者であって、日常多忙な者ばか りでありますから、病院や教育施設の運営に専念することは困難な場合が多く、 クラブの中には、これが運営の為めに多大の費用を支出することに苦しんでい たものもあったということで、一般的にはロータリーの偉大なる奉仕事業とし て社会の高い評価を受けたものの、 1 部では事業の失敗なども起ったところも あったということであります。つまり、今日もロータリーの社会奉仕に取り組 む場合の注意事項となっている『継続的な社会奉仕を計画する場合には、中途 半端なことにならないように』、『その為に世間の失笑を買うような事態にな らないように』という結実が現実に起ったところもあったようであります。

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